寺山修司の、少女詩集を読む。
よかった。詩の中に、遊び心がいっぱい入っていて、
私は、遊園地の、お化け屋敷や、ミラーハウスやびっくりハウスに入った気持ちになった。
そう、寺山修司の詩は、遊園地の遊具にもちょっと似ている。
可愛い廻るティーカップや、回転木馬、可愛いのに、ちょっと、不思議で…恐ろしい感じ。
不思議で、というのはともかく、なんで、恐ろしいのか。
ティーカップも、回転木馬も、止まっていると、どこか不気味に見えないか。
夜の遊園地の、止まったメリーゴーランドの馬の目…。作り物の馬やティーカップが、動くという不思議な事実…だから、恐ろしい、とした。
寺山の話に戻る。少女詩集のなかには、海のはなしが多い、あと、海に飛び込む自殺をする人や、おばあさんのお話。どこかで聞いたような…なんとなく、谷川俊太郎を思い出してしまった。谷川俊太郎も、少女詩集のような歌を歌う人のような…気がする。
詩というのは面白い。
短歌も、詩の一種らしい。
そういえば、宮沢賢治も、詩を書いていたから、今度、読んでみよう。
寺山の詩のなにが面白いかというと、地獄や悪魔や、そういう、インモラル(反倫理)な、いけない、いかがわしいものが散りばめられているからであろう。残酷詩集といってもいいかもしれない。
惨酷なものは面白い。京極堂シリーズも残酷で、気味が悪い、そういう、怖さである。
少女と、墓、とか、破瓜、とか、そういう、ふんわりしてかわいいものと、墓、破瓜、血、などのミスマッチな美麗な光景というのも、また、チョコレートに塩をかけて食べるみたいで、面白い。少女と破瓜とか、死、なんて、なんだか、アーバンギャルド(アングラ)でデカダンス的(退廃的)な、ものだが、ちょっとシュールレアリズム的な感じで、ダダイズムだね、という、ちょっとした言葉遊びをしてみました。
実は、「千と千尋の物語」は、私の大学生の頃に発表されて、近くの大学の国文科に通っていた私は、寺山修司の「田園に死す」という映画を見せられて、当時、なんだか、ひどい映画だなあと、一蹴して、絵を描く日々で授業はほとんど寝ていたんですが、川に、お雛様が流されていくあの有名なシーンだけはしっかり覚えていた。すごいものだという認識はあった。高校生の時、国語のとき、夏目漱石の「こころ」を教えてもらった時を思い出した。
後年、「田園に死す」をようやく全編見て、やっぱり面白いな、寺山修司は、と思って、色々、集めようかな…と思っている次第。
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